Passione(情熱)

 

 ~ 子供の頃からずっと、自転車に夢中だった ~

 


イタリアの自転車を取り巻く世界には、パッシォーネ(情熱)という言葉がよく似合う。
カルチョほどではないにしても、自転車に熱狂するティフォーゾの数も相当なものだ。この“チフス熱”(ティフォーゾの語源)は、往々にして、父または叔父から子に伝播する。そうして、もうかれこれ100年以上もイタリアに蔓延し続け、今日までチクリズモという文化を育んできた。 そして、それを支えているのがパッシォナーレ(情熱的な人)の存在だ。

 

Tiralento代表ジャンニ・トライーニ


イタリア中部、マルケ州の人口3,500人の小さな村グロッタッツォリーナにある小さなサイクルアパレルメーカー「Tiralento」(ティラレント)を経営するジャンニ・トライーニもそんな、チクリズモを愛してやまないパッシォナーレの一人。
1957年生まれの彼は、多くのイタリア人サイクリスト同様に、自転車好きの父の影響で幼くしてすぐにチクリズモにのめり込んだ。
幼い間は、身長が低いためまだロードバイクで走ることはできなかったが、有名選手の写真が入ったカードを夢中で集めた。同級生とのカードトレーディングでは、他の友達が欲しがるサッカー選手のカードは気前よく譲って、その代わりに自転車選手のものを手に入れた。それも、ジモンディやモッタ、アドルニなどの有名選手だけではなく、彼らの活躍を縁の下で支える無名のチームメイト達も欠かさなかった。
この時代の子供たちは、カードの選手の写真を丸く切り、ジュースの王冠(ふた)の裏のコルクを剥がしたところに貼り付けて「タッピッティ」というゲームで使う駒(選手)を作った。ジャンニ少年の豊かな空想力があれば、ミラノ-サンレモやジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスの熱き戦いは家の玄関前の道や、教会の大理石の階段、どんなところだって繰り広げられたのだ。

 

1960年代のイタリア。路上でタッピッティで遊ぶ子供たち


当時、レースの情報を手に入れる手段は、主にラジオ。重要なレースはテレビでも放映があったが、1968年のジロ第12ステージ(トレ・チーメ・ディ・ラヴァレード)で、エディ・メルクスが、チーム・ペプシコーラのジャンカルロ・ポリドーリをゴールまで残り500mで抜き去り、レースを制した映像が今も忘れられないという。

 

12歳ではじめてロードバイクに乗るジャンニ少年

毎週月曜日の朝は、前日のレース結果が載る新聞を読むためにいつもより早起きして、学校に行く前に駆け足でBARに立ち寄るのがジャンニの習慣だった。
他にも、地元フェルモで開催されたレースを見物しに行った会場で、そこに車でやってきたジャック・アンクティルがトランクからピストバイクを取り出す姿を見たことや、ルディ・アルティヒを、羨望の眼差しで眺めていると、彼が笑顔で近づいてきて、握手し、おまけに自分を抱きかかえてくれた時など、ジャンニにとって、幼少期の感動と興奮の忘れがたい思い出には事欠かない。

12歳の時、叔父のロードバイクを借り、はじめて走った。すぐにレースにも出ることにした。歳をごまかして出走登録をしたが、膝までありそうな“BIANCHI”のジャージを着た、小さな身体には不相応な大きな自転車、きっと大人たちは気づいていたのだろう。でも、誰もお咎めはしなかった。

そんな幼少期から、63歳になる今日まで、ジャンニはチクリズモへの愛と情熱を絶やしたことは一度もない。



18歳までレースで走ったが、目立った成績は残せなかった。

 

 



Tiralento ~ 力づよく、しかし急がずにゆっくりと ~

Tiralento(ティラレント)は今から5年前に設立した。弟や従兄弟のほか、世代を超えた仲間と一緒に、彼が人生を通して焦がしてきた自転車愛を具体的な形にするという夢をかなえた。往年のサイクリングチームのレプリカジャージや靴を、デザイン、素材、製法を忠実にリスペクトし、細部にまでこだわって手作りしている。
ジャンニだけではなく、恐らく多くのファンにとって、戦後から1970~80年代までが、イタリアのチクリズモが最も輝いていた時代だろう。そんな時代のチームや選手、言わば彼の思い出の青春時代へのオマージュがTiralentoの目的、と言ってしまえば、少し短絡的ではあるが、あながち間違ってはいない。加えて、Tiralentoが成り立つもうひとつの理由は、変わりすぎた今日のチクリズモとその退屈への、ジャンニの“皮肉を込めた抗い”でもある。

 

1974年仲間と一緒にジロのレース観戦に。雨の中、集団の通過を前にクローズされるカルペーニャ山頂まで
10kmの道を、食べ物でいっぱいのカバンを手に、大勢の観客と共に歩いて登った。

軽量化に傾倒する一方で乗り手のジオメトリを無視し、結果的に安全性を軽んじたカーボンフレームや、パワーメーターなどデータ測定を元にしたトレーニングが結果を左右するレース、来年の契約のために、成績を求めて禁止薬物に頼る選手たち。これら、自転車を取り巻く世界の進歩と引き換えに生じた変化は、ジャンニにとってサイクルロードレースが退屈になった要因に過ぎない。
彼は、選手が身体や健康にやさしいパニーノでエネルギー補給し、無線機を用いるのではなく、生身の身体から得る情報を頼りに、チーム監督がサポートカーから身体を乗り出して大声で送るアドバイスを聞き、ディスクブレーキの性能ではなく、自らの技術で下りを速く駆け抜ける、そんな、人々を夢中にさせたチクリズモのかつてあった姿、文化を後世に残し伝えたいとも考えている。


Tiralentoのあるグロッタッツォリーナ(マルケ州フェルモ県)は人口わずか3,500人足らず。
岡の上に立つ城壁に囲まれた中世のボルゴが残る


サイクリングアパレルTiralentoの製品ラインアップは、メリノウール製品、そしてシューズやヘルメットなどのレザー製品だ。
往年の製品を素材、デザイン、形状など忠実に再現するために欠かせない“リカーモ・ア・パッソ・カテネッラ”(チェーンステッチ刺繍)のための、年代物の貴重な刺繍ミシンを、イタリア中探し求めて、ついにある工場で見つけて購入した。




工房は3人の職人と共に操業し、ウール製品は若いマヌエラとアレッシオの二人が刺繍と裁縫を担当。
皮革加工の熟練職人マッシモはシューズとヘルメットを製作する


“オリジナルを忠実に再現する”ことへのTiralentoの情熱とこだわりは脱帽に値する。
例えば、戦前1930年代までのウールジャージと、織機が進化した戦後では、ウールの編み方が異なっており、戦前のものは編み目がやや粗く、生地も厚みがある。一方戦後以降~70年代のものは、より細かくプレーンに編まれているほかにも、例えばチームブルックリン(GIOS)のレプリカジャージのように、部分的にポリアクリル素材を使っているところも、オリジナルに忠実だ。

- ジャンニ -

「残念ながら、100%オリジナルに忠実に再現しているわけではない。例えばビブショーツは、かつてはレギュレーションのためにどのチームでも黒のショーツしか使用が認められていなかったので、Tiralentoでも黒しかやっていないが、当時使われていたパッドは鹿の革で作られているが、現在は捕獲規制のため手に入らない。そのため、パッドは人工素材のモダンなパッドを使っているよ。もちろんイタリアの有名メーカーのものだ」
 

BROOKLYNレプリカジャージ

年代によってポケットの形状や、編み目の細かさを変えるなど、オリジナルを忠実に再現することにこだわる




ジャンニとTiralentoの自転車愛はこれにとどまらない。彼は、地元の歴史あるアマチュアサイクリングチームのレプリカジャージも作っている。それも、自身が18歳まで所属してレースを戦ったチームS.C.Sammartineseを含む11種類もだ。



- ジャンニ -

どれも小さなチームだが、私を含め、多くの少年に、レースで走るチャンスを与えてくれた。これらのチームが無かったらフランチェスコ・モゼールやジャンバッティスタ・バロンケッリ、ジョヴァンニ・バッタリンといったスターの活躍もなかっただろう。

自転車少年のレース参加の夢をサポートしてきた地元アマチュアチームのレプリカジャージもラインナップする。



Tiralento製品の大半は、作り置きをせず、オーダーを受けてからイタリアの工房で1点ずつ製作するため、ス・ミズーラ(オーダーメイド)で、お客様のさまざまなリクエストにお答えすることができます。半袖、長袖はもちろん、各部の寸法を元に、体形に合わせたサイズ、そしてデザイン、オリジナルの刺繍ロゴなど、自分だけの一点ものウールジャージを実現します。また、シューズの場合は、魚の目やたこの部分のみサイズに余裕を持たせたり、靴擦れにはシリコンのパッドを内包するなど、顧客の細かなリクエストにも耳をかたむけ対応を心掛けるなど、ジャンニや職人たち真摯なものづくりの精神がうかがえます。
加えてTiralento.jpをスタートするにあたり、日本市場に向けに独自の商品企画として、オフタイムに着れるデザインのニット製品や、スェード製サイクルシューズ(SPDクリート用)&ドライビングシューズなどの製作にも応じてくれました。これらはオリジナルに忠実なヴィンテージサイクルウェアを提供するというTiralentoのポリシーに相反するということを承知の上で、このようなラインナップを日本国内の消費者の皆様にご紹介できる運びとなり、伊Tiralento社の協力と厚誼に深く感謝しております。


Tiralento.jp


 


20年前に他界した親友が「Tiralento」の名付け親


「Tiralento」という言葉は、実はイタリア語には存在しない。些少ながらあるイタリア語の知識でひも解くと
Tirare(引っ張る→力強く進む)
Lento(ゆっくりと)
を合わせた造語だとわかる。
ジャンニが、この事業を始めるにあたってブランドにこの名前を与えた理由は、今は亡き友人エドモンドへのオマージュでもある。「Tiralento」とは、自転車好きでは右に出るものが居なかったエドモンドが作り出したらしい。

この名前の由来をさらに詳しくジャンニに訪ねてみた。

かつての自転車仲間のエドモンド。彼が”ティラレント”の新語を生み出した。


- ジャンニ -

「ジーノ・バルタリの大ファンのエドモンドは、どんな選手だって、遠くから走ってくるその姿を見て、すぐに誰か見分けることができたくらい、レースや選手に精通していた。
ある日、僕たちは峠の頂上でレースを見学していた。すると遠くから一人の選手がやってきた。肩をゆすりながら走るその選手のフォームはとても滑稽で、僕たちは、彼がもがいてダッシュしているのか、それともゆっくり走っているのか、まったく判別できなかった。あのエドモンドでさえわからない。すると彼がこう言ったんだ「あの“ティラレント”はいったい何者なんだ!?」みんなで大笑いをしたよ(笑)」


いつしか「Tiralento」の呼び名は、レースのためにいくらトレーニングを積んで努力しても、いっこうに結果が残せずにいるジャンニ自身に向けられるようになる。またエドモンドは、ある時、悩むジャンニに、神妙な面持ちでこんなこともいった。

「君がいくら頑張ってもレースで勝てないのは、この地方特有のある病(やまい)に冒されているせいだよ。この感染病は現在まで完治不能として人々に恐れられている。“トライニーテ”という名の病にね」

もちろん、そんな病は実際には存在しない。ジャンニより年上のエドモンドは、ジャンニや、彼の父と叔父など、トライーニ家の自転車乗りのみんなが、登りでも下りでも、レースでも、いつも走りはゆっくりで遅いことを知っており、それを“トライニーテ”という伝染病に例えて、ジャンニも父・叔父から感染したんだとからかい、おもしろめかしてみせたのだ。

アマチュアレーサーだった少年時代と、現在のジャンニ。45年の年月が過ぎたが、
今でも週末は仲間とサイクリングに出かけ、年間5,000kmは走るという。

 

- ジャンニ -

「エドモンドは20年前に他界したけど、今でも僕たちの大切な仲間だ。彼との思い出のためにも、私たちのプロジェクトに“Tiralento”の名前を付けた。それに自転車も、スローフードやスローライフのように、ただ速く走るだけじゃなく、時には立ち止まって景色や、美味しい食事を楽しんだりと、決して急がない、ゆったりとしたサイクルライフを楽しむのが私たちのモットーなんだ」

”ゆったりとしたサイクルライフを楽しむ”をコンセプトに開発したサイクルシューズをジャンニは、
かつての友人エドモンドがジャンニの苗字トライーニから生み出した造語「トライニーテ」と名付けることにした。
ライド中にバイクから降りて自転車を押しながらの散歩や、オフタイムにも似合うスタイリッシュなデザインと快適さを兼ね備えている。





 


日本のサイクリストへ向けてジャンニからメッセージ



日本のサイクリストの皆さん、こんにちは。ジャンニです。私は、幼いころからチクリズモが大好きで育ってきました。1974年、仲間と一緒にジロのレース会場に行き、はじめて生で観戦しました。カルペーニャ山頂へ続く10kmの道は、レースの集団が通過する前に閉鎖されるため、私たちは、食べ物を一杯詰め込んだ重いカバンを持って、とてつもない数の観客と一緒に歩いて登りました。それはまるで、教徒による聖地巡礼のようでした。その瞬間、私は、自転車へのパッシォーネは大いなる力を秘めていると悟ったのです。自転車とは、ほかのスポーツと違い、政治、宗教などあらゆるイデオロジーや垣根を越え、暴力に依(よ)らないばかりか、人々を団結させることができる。私はそんな偉大なスポーツであるチクリズモを愛しています。
 また、1964年、私が6歳の時にテレビで見たパリ・ルーベ。このレース勝利したオランダ人ピーター・ポストの平均スピードは45.129 km/hでした。これは、近年のレースと大差のないものです。もちろん、現代のように、軽量なカーボンフレームも、電動コンポも、ディープリムのホイールも、空力に優れたハイテクウェアも無かった時代の記録です。 他にも、モゼール、モッタ、ジモンディ、メルクス、フォンドリエストなど、枚挙にいとまがないほどの多くの選手たちの走りに胸躍らされました。
そんな、私が心を焦がした素晴らしい選手の活躍などのチクリズモの伝統や知識だけではなく、自転車を通じて共に歩んできた大切な仲間との思い出など、それらの記憶を後世まで残し伝えることで、私の人生を豊かに彩ってくれたこのチクリズモに恩返しができる。そんな思いでTiralentoの事業を始めました。日本の皆さんにも、私たちが心を込めて作る製品をご紹介できることを光栄に思っています。
日本にはまだ訪れたことがありませんが、ケイリンやトラック世界選手権の偉大な王者コウイチ・ナカノの活躍はよく憶えています。彼を除けば、ヨーロッパや世界のトップで通用する日本人選手はあまり輩出されていないようなので、私は日本には自転車文化が、それほど深くは根付いていないと思ってました。しかし、Tiralento.jp立ち上げのために日本と仕事を進める中で、日本のサイクリストの皆さんの間にも、金属製のフレームや、ウールジャージなど、往年の自転車文化へ強い関心をお持ちであることを知りました。Tiralentoそして、ヴィンテージ・チクリズモの世界を媒体にして、日本の皆さんと繋り、このパッシォーネを分かち合えることを楽しみにしています。Grazie!!

Tiralentoのあるマルケ州グロッタッツォリーナはアペニン山脈とアドリア海どちらにも近く、サイクリストに
とって理想の土地です。サイクルツーリズムを推進しているので、ぜひ日本からも遊びに来てください(ジャンニ)